新しい組織運営へ大改革の歴史 前編 |『自走』に奮闘した過去|かつこさんインタビュー

こんにちは!CSR担当の丸山です。
2023年がスタートしてもう2ヶ月が経とうとしています。新しい自律分散型の組織運営スタイルを導入した2022年は、手探り状態でみんなで運営を進めてきましたが、幕開けした2023年こそが、自律分散型の組織に向けた「新生Green prop」の初年とも言えます。
今年からこの赤裸々日記も本格稼働します!みなさま何卒宜しくお願い致します。

さて、今回の赤裸々日記は、そもそもなぜ新しい自律分散型の組織運営スタイルを導入することになったのか、その背景をぐーんと深掘りすべく、当社代表の川添 克子(通称:かつこさん)にインタビューしました!

前編として、組織運営のテーマ『自走』に奮闘した過去をお送り致します。

Green propの価値を提供するためのキーワードが『自走』『自律分散』

−「自ら考え、自ら行動する」“自走”や“自律分散”の組織づくりは長年取り組んできたことだと思います。そもそもそこに力を入れようと思ったきっかけはなんですか?

そうですね、「自走」や「自律」、ずっとそのキーワードは変わってないですね。

そもそもこれがキーワードになったのは、Green propの事業形態、価値提供の在り方が根源です。それは、2000年代初めの頃でした。
私たちは、廃棄物に関するお客様の課題に対して、何が最適解かを考えながら仕事をするチーム。「指示されないと動けない」ような状態だったら、最適解を導き出せないから、自分で考えて自分で判断できる人材を育てていかないと!と思いました。

−最適解を出すことがGreen propの価値ですね。その言葉も昔からよく社内で飛び交っていました。

営業だったり、ドライバーが接する現場だったり、いろんな場面でお客様と接する。
その現場現場で判断できるようになると、自ずと価値が提供できる。そんな人材を育てていくのは私の仕事だと思っていました。

『経営』に力を入れるきっかけとなった2度の入院

−2000年代初め、当時は社員も10名足らずで、みんないろんな役割を兼任していたと聞いてます。具体的に自走とか自律に向けた動きをはじめたのは、大きな出来事があったとか……

そうそう、「自走する社員を育てよう!」と考えていても実際には全然手につかなかった!
2003年だったかな〜、私が体調を崩して2回も入院したことがあったんです。当時は先代が他界して社員も少数精鋭で運営していました。その時は、借金返済とお客様のことしか考えていなくて、私自身も24時間365日仕事していた感覚。「私が頑張らなきゃ」と経営者として必死で、ずっと気を張ってました。
しかも、「私が仕事をとってきて、みんなに仕事を与えなきゃ」と本当に自分しか見えてないくらい必死で、自己中心的な考えを持っていた。今考えるとひどい経営者だと思いますけどね笑。

その考えがひっくり返ったのが2度目の入院。毎日会社に電話するけど「大丈夫です!ゆっくり休んでください」との言葉が耳に入ってきた。
1度目の入院の時も、優しい言葉を社員はかけてくれてたんだと思うけど、その時は「早く復帰しなきゃ」って考えてばかりで全然耳に入ってこなかった。2度目の入院でようやく気づきました。実際に、私がいなくても売上は上がって社員のみんなにお給料を払うことができてる。初めて客観的に自分の会社を見ることができて「私一人でやっているんじゃない。会社らしくなってるじゃん」って気づいたんです。

そこから、脳内の10割を「お客様」「営業」が占めていた中に、社員と一緒に会社を運営する意味での「経営」という言葉が入ってきました。

 

−自分一人で会社を運営しているんじゃない。これは本当に大きな気づきですね。

うん。それから、部署を作って業務に応じた役割分担を明確にしたり、私も営業の第一線からは少しずつ退いて、みんなに任せるようにした。
今考えると、これが私の最初の「手放したこと」だったね。経営者としての基礎が、初めて薄ーくできた感覚だった。

 

−役割分担をしてから、経営者・川添克子としてのスタートを切ったとも言えると思います。動き出した当時を振り返るとどうですか?

それが最初はまるでできていなかった笑。
退院した後、社員のみんなに謝って、経営に比重を置いてみんなで役割分担しながら進めていこうと話したけど、私たちはサービス業で「お客様第一主義」。ちょうど大手企業様との取引が着実に増えていた状況で、信用と信頼を保っていくことが最優先。会社としてご契約いただいているので、みんなでサービスの質を維持・向上させることを大事にして、厳しい一面も多々ありました。お客様の期待や要望に応えていくためには、社員に求めるレベルに変化はないんです。

だから、役割分担して任せると言っても、正直任せられなかった。営業のスタッフには、「お客様はなんて言ってた?」「それでどう反応してた?」とか、事細かく聞いていました。今考えると、まるで圧迫面接みたいです……

自走に向けて研修・研修・研修…

−お客様を裏切らない、サービスの質を落とさない。そこが原点で自走する人材に育んでいくことがスタートしたんですね。

うん。そのために、いろんな研修をまずは私が受けていきました。まずは自分が受講して学んで、「あ、こういうことか!」と自分自身が分かるようになったと感じたものを取り入れていきました。社員のみんなも、そんな風に一つ一つ分かるようになっていけばいいなって思って、社員向けの研修を増やしていった。

でも、実際にやってみると、研修で社員の変化を感じるのはごく一部笑。「もう、このくらい分かるでしょ!!」と感じてしまうことも多くて。だって、そうですよね、人はみんな違う生き方をしてきたんだし、それぞれに個性がある。考えていることや気づくことが違うのが当たり前なのに、研修を受けても自分と同じ学びを得ていない現状があって、社員と自分との間にギャップがあることに気づいたんです。それが自分自身の不安や不満につながっていました。

 

−「研修しても社員が成長しない」これはどの組織も持っている悩みかもしれませんが、自社でも存在していたのですね。

でもね、大きな気づきが1つあった。それは、自ら着火すれば進んでいくってこと。
2010年頃、3.11.東日本大震災が起きた後にエネルギーについて大きな変革が起きるちょっと前に、LED照明の取扱を開始しました。当社で初めて物品販売です。
当時はLED照明が世の中に出始めたぐらいの時で、環境担当のお客様から「どんなメーカーのやつがいいのかな?」といった相談が増えていて、私たちで取扱できるように研究して商品の検討していたところでした。

すると、ある社員が私からの指示もなく「これだったらこのお客様にはいいですね」と、自分で各メーカーとの比較や分析をやっていました。結果、私たちのお客様の特性に合った商品を見つけることができ、一定の売上と新たなお客様・協力会社様の増加につながりました。

研修をやっても、活かそうとする人、うまく活かすことができない人もいる。でも、LED照明の取扱みたいに、興味・関心があるものだとダーーっと前に進む人がいる。
やっぱり、「自分自身で経営していく」という感覚を社員が持つことが一番理想だなって感じた瞬間でした。経営者は、責任を負う範囲が広いしその責任も大きいけど、それは醍醐味でもあり、人生の幅が広がると思ってます。

 

−2010年頃から、自ら創り出し経営していくというセルフマネジメントに関する研修を取り入れていきましたね。研修を進めていく中で、社員の変化はどのように感じていましたか?

自創経営の考え方は、営業もドライバーも事務も、どの仕事でも大切!と思って取り組んでいきました。
会社の目標を設定して、それに基づいて部門の目標を設定して、さらにそれに基づいて個人の目標を設定して。目標に向けて計画を立てて実行して、振り返りと改善をまた再計画する。バックキャスティングで目標を立ててPDCAを回しながら進めていくことは型として身についたかなと思います。
それと、職務分掌や人事考課制度など、会社としての運用ルールや人材の考え方も整備していくことで、役割分担をより明確にしたり社員がキャリアプランを描くことができる環境も整えていきました。

ただ、自創の定着に向けてはみんな大変だったと思う!一人一人が毎月・毎週・毎日の目標を立てて行動し、毎日・毎週・毎月の振り返りを行う。ちゃんとノートにそれが書かれているか、提出してチェックすることもやっていたし、内容が甘かったらツッコむこともしばしば笑。今振り返ると、すごく「圧」だったなと思います。

でも、バックキャスティングで目標を立てることやPDCAを回して物事を進めていくことは、しっかりみんなに染みついたかなと。この礎がGreen propにあることは、とても心づよい存在になっています。

 

−バックキャスティング・PDCAというマネジメントの基本の型は、確かに染み付いていると思います。私も何度もPDCAを回してきた自負があります笑

そうだよね!今や当たり前になっているのはすごいと思うよ!

でも、自創経営を取り組んでいく中で、私にも違和感が出てきた。役割分担して、自分の仕事をデザイン・経営できている仲間もいるけど、代表取締役は私。全て私が責任を負わなければならない自分自身に対するプレッシャーや重圧みたいなものを感じたんです。

それは、2013年に代表取締役に就任してからのことだった。代表になった途端、ものすごい孤独感に襲われて、体が重くなった。今までも『経営』という同じことをやってきたけど、代表になると、それがすっごく重たく感じた。

 

−代表になられて、体調を崩されることも幾度かありましたね……かつこさんが感じた違和感、もう少し詳しく教えてください。

代表取締役というボジションになって、長年一緒にやってきたリーダーには「自分は代表になったんだから、あなたも部門経営者としてしっかり頑張るよね!」という期待を持っていた。実際には、それが圧力になってたんだとも思う。

そこから少しずつ社員との距離やズレを感じるようになったんです。社員の中でも、やる人とやらない人の差も大きく出ていた。リーダーと一緒に計画を立てるのに、計画が計画どおりに進まない。その通りにならないことはもちろんあるけど、立てた計画を遂行すらしないこともあった。「え、一緒に計画立てたじゃん!なんでやらないの?やらないなら計画つくる時になんで言わないの?」と、いつの間にか何度もこれを口にしていた。
会社を成長させるために、各部門で計画を立てる。でも、やらない計画があるから、全体の計画にズレが出てくる。「なんで?」「PDCAの回し方はとっくに知ってるのに…」ともどかしさを感じていました。めちゃくちゃ不満と葛藤を感じていました。

どうしたら“いい経営”ができるんだろう……
よそに答えはないのに、よそに学びに行った。いろんな経営者から話を聞けるように、経済団体に入って積極的に活動したりもした。
でも、やっぱりよそに答えはなくて、悩めば悩むほど、体に異変が生じてきたんです。目が充血したり、急に鼻血が出たり、足が痙攣したり。良かれと思ってやってきたことの結果がことごとく見えなくて……いろんな考えがぐるぐるしていた時でしたね。

なんか、私自身、喜びも悲しみも本音で言い合える、経営者の仲間が欲しかったっていうのもあったのかな。「部門経営者として」「個人の経営者として」本当にみんなが経営者として動き出すと、私自身が抱いている不安や葛藤もなくなっていくのかなとも思っていました。思うような結果が出なくて、社員との距離をすごく感じていた時期でした。

 

「この会社はみんなの会社だ」と実感した火災事故

 

−新しい組織運営の転機になったのは、2020年6月に発行した社史「Green prop History Book」でしたね。この社史の最後には、「この会社はみんなの会社だ」とかつこさんの言葉が綴られています。

2019年3月4日。当時の本社・処分場が全焼するという火災事故が起きました。私は警察や消防などの関係当局との対応をする中、大切なお客様や協力会社様などの対応を指揮できない状況でした。

でも、その時私が見たのは、何をしないといけないのか、自分たちで考えて自分たちで行動している社員の姿でした。何も指示がなくとも、自分ができる役割をしっかり全うしている姿があって、まさしく“自走”していました。みんな肉体的にも精神的にも疲れていたと思うけど、やるべきことをやってスッキリしているとも感じた。これこそが、Green propの底力だし、みんながすっごくかっこよく思えたんです。
この時、社員の原動力になっていたのは、お客様や協力会社様など、本当にたくさんの人たちからいただいた応援・激励でした。日頃の社員の一挙一動がステークホルダーの皆様から応援していただけるような関係を築いていたこともわかって、すごく嬉しかった。その結果、火災によるいろんな処理は約3ヶ月で収束。関係当局からも「こんなスピードで終わるなんて信じられません」と言われて、社員のみんなを誇らしく思ったものです。

この出来事があったから、「この会社はみんなの会社」と本気で思いました。私だけの会社ではない、みんなが歴史を紡いで築き上げてきた会社だと思ったんです。

でも、「これは幻想かもしれない」と勘違いしました。そう、ひとときの夢だったんです……

 

ひとときの夢!? 幻想かもしれないとは!?

今回の赤裸々日記はここまで!最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は「新しい組織運営へ大改革の歴史 後編」をお送りします。
お楽しみに!