多様性を受け入れるために大切なこと ~ダイバーシティ・インクルージョン~

グローバル化と日本の現状

ここ数年で日本で生活する外国人の数が急増しています。コンビニや飲食店で、外国人労働者を見る機会も増えました。

要因の一つとしては、やはり日本の社会課題である「少子高齢化」「人手不足」が挙げられるでしょう。

急増する外国人労働者に対し冷ややかな声も聞きますが、彼らの力なしに日本経済はこれまでの状態を保てないからこそ、政府が外国人受け入れを拡大したと言えます。

また、日本は「観光」を経済の重要成長分野として政策を進めています(コロナの影響で難しい局面を迎えていますが…)。自国の経済を支えるためにも、多様性を受け入れる土台づくりはこれからの日本のために必須です。

今回はグローバル化と多様性の受け入れについて考えていきます。

文化・習慣の違いから考えるコミュニケーションの重要性

私が半年間だけイギリスに留学していたころ、日本と他国の常識の違いを感じたことが多々ありました。そのエピソードをひとつご紹介します。

イタリア人のクラスメイトと話していたとき、「日本の子は誰に対しても態度が同じだし、感情が読めない。何を考えてるのかわからないときがあるよ。」と言われたことがありました。

確かに、日本人は自分の気持ちや感情をダイレクトに表現するよりも、状況や自分の立場などを考え、その場の空気に合わせて人と接することが多い気がします。

そんな話をすると、クラスメイトから「私は自分の感情はきちんと表現するべきだと両親に教わって育ってきた。」との回答が返ってき、

日本と海外の表現やコミュニケーションにおける違いを痛感した瞬間でした。

「本音と建て前」という言葉があるように、日本では自分の考えや本心を表現する前に、まずは自分の立場や相手との関係を配慮します。何かを断るときも、はっきり「No」とは言わず、やんわりと、遠回しに、相手の気分を害さないように…などと、とても気を使います。

そんな日本では当たり前のコミュニケーションが、海外では「感情が読めない。何を考えているかわからない。」という印象を与えているのかもしれません。

このように、文化や習慣の違いをまずは知り受け止めることが、多様性の受け入れの最初のステップではないかと思います。

これから日本国内でも、国籍の異なる人と同じ職場で働くなどの機会が増えていくことでしょう。

全く表現方法や考え方、常識の異なる人同士が、まずは誤解なく、ともに生活をする、あるいは同じ職場で働くということは、想像する以上に、丁寧なコミュニケーションや、お互いに対する理解が必要です。

これまで日本人同士であれば、特に言葉にしなくても何とかなっていたこと、相手に伝わっていたことが、互いに言葉にしないと伝わらないことが多々あるかもしれません。それは、育ってきた環境や互いの常識が違うから当然のこと。だからこそ、きちんと気持ちを言葉にする、コミュニケーションをとることが大切なのだと思います。

グローバル化も進み、異なる文化・習慣を持つ人が関わり合う機会が増えたこと、また、個を重んじる考え方が広がってきたことなどにより、最近は「ダイバーシティ・インクルージョン」をよく聞くようになりました。

ダイバーシティ・インクルージョン

ダイバーシティ(Diversity)は「多様性」を意味し、「人種、性別、国籍、障害の有無など、多様な人材を受け入れて活かす」ことを現す言葉としてビジネスシーンでも用いられるようになりました。また、インクルージョン(Inclusion)は直訳で「包括・包含」という意味です。「多種多様な価値観や考え方を持つ人材一人ひとりの能力やスキルが認められ、組織で個人が活かされる」ことを現す言葉として使われています。

多様性を受け入れるためには、相手に伝えたいことを言葉にする、コミュニケーションをとり、相手を理解しようとするといったことが大切だと思います。

中には言葉にしにくい繊細な事柄もあるかもしれません。その場合は、こちらから相手の立場について学ぼうとすることも必要です。互いの認識・考えの違いを見過ごし、理解しないまま進むと、大きな誤解やトラブルを招くことになります。

これらは人種や国籍に限らず、世代や性別の違い、個々の考え方の違いなど、さまざまな状況で言えることです。

時間はかかるかもしれませんが、まずやコミュニケーションや学びを通して、自分にとっての当たり前で相手にとって当たり前でない事柄が何なのかを認識し、互いに違いを認め合うことが多様性を受け入れるということに繋がっていくのではないでしょうか。